永井隆博士と横尾石材工業

原爆症の後遺症に苦しみながらも、自らの生命を顧みず「如己愛人」「平和を」の精神に徹し、被爆者の救護に当たり、全世界に平和を訴え続けた永井隆博士。

永井隆博士は、昭和26年5月1日にお亡くなりになりましたが、昭和24年、長崎市名誉市民第1号に叙せられ、「墓地」は坂本国際墓地の隣接地の一部を貸与されました。永井博士自身の希望も取り入れられ、実弟の元氏が設計をし、横尾石材が施工させていただき、生前完成したものです。

「あの子らの碑」は原爆で死亡した山里国民学校教職員・児童・親・兄弟姉妹の霊を慰め、永遠の平和を願って建てられたものです。「あの子らの碑」の建立は、病床にあった永井博士が、生き残った児童の作文を「原子雲の下に生きて」として出版し、その印税によって実現されました。右横にある石柱の正面には「平和を」、裏には「あの子らの碑」と永井博士の筆による言葉が刻んであります。
弊社には「あの子らの碑」製作のお礼に、永井隆博士から贈られた書があります。

「昭和廿四年十一月三日 長崎市山里小学校庭に
横尾大人の力により「あの子らの碑」建つ
石も語らむ平和を と   感謝の為 永井隆」

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